2009年02月21日

オヤケ赤蜂

オヤケアカハチ人気衰えず
10年前の1999~2000年にオヤケアカハチ乱から500年の
節目に当たると言うことで八重山文化研究会主催による八重山群雄割拠時代と
オヤケアカハチの乱から500年(1999年10月2日)・石垣市教育委員会主催による
逆賊か英雄か闇の歴史を徹底検証(2000年7月1日)・没後500年シンポジウムが
2回ほど開催され大勢の参加者と共に私も参加する事ができ、未だにアカハチ人気の
凄さに感銘をうけています。
会場にはオヤケアカハチの乱に関する資料がお多く展示され資料を全部
見ることが出来ず後悔しています。

大浜村(2000年10月14日)のアカハチ500年祭記念行事の除幕式・祝賀会に出席し
銅像前特設ステージで長浜寛氏の南ぬ勇者オヤケアカハチの歌・三線に合わせて、                          一人でステージで創作踊り?を踊り拍手喝采を受けたのを今でも忘れる事が出来ません。

10年前の古い手帳に伊波南哲著者の長編叙事詩か如何か知りませんが
興味ある一説の書きし写しがありました。

オヤケ赤蜂
2000年10月 オヤケアカハチ銅像建立
オヤケ赤蜂

銅像は台座を含めると4メートル位の高さです。
オヤケ赤蜂
大浜小学校のデイゴの花が満開でした。(2004年3月)

銅像の後ろからの写真です。
オヤケ赤蜂
オヤケアカハチ像の碑文

神の授け子
波照間島の東海岸の高那は 魔の海といわれ
きがたる珊瑚礁の岸壁が 間断なく打ち寄せる怒涛に切りきざまれて
犬牙鋸歯の岩礁連なり  虎の口、鰐の口、獅子の口、大蛇の口などあって
鬼気迫る怪観は 身の毛のよだつほどであった。
この怪奇な岸壁に佇ずむと 寂寥と恐怖におののくばかりではなく
造花の神の偉大な彫刻に 思わず感嘆せずにはおれなかった
日頃ですらこの世のものとも思えないけ奇観に
台風のときの荒れかたは物凄く 岩礁に砕け散る飛沫は天に沖して
空と海とのけじめ定かならず 落雷のような怒号と
霧笛のような響きとがからみ合って
無限地獄に引き摺りこまれるかの様であった。

ある夏の夜明けがた 東海岸に漁にいった若者は
波の音に交じって 赤ん坊の泣き声を聞いた
魔の海のこととて脅えながら 自分の耳を疑ったが
紛れもなく赤ん坊の泣き声なので 若者は腰を抜かさんばかりに驚き
その異変を急報すべく 息せき切って部落へ飛んで帰った。

部落の人々はそれを聞くと 怖わいもの見たさに
われもわれもと東海岸に突っ走った 岸壁に立って耳を澄ましていると
赤ん坊の泣き声がはっきり聞こえるので それっとばかりに
元気な若者たちが岸壁を降って 赤ん坊を探しに行った
虎の口の岩床の上に海草にくるまって 泣いている赤ん坊を発見した若者たちは
それを抱いて岸壁をよじ登った そのとき朝日が 東の水平線からぽっかり顔を出した。

部落の人々は両手をあげて一斉に歓声をあげた 赤ん坊はまるまる肥った男の子であった
泣き止んでにこにこしていた その顔が朝日に照らされて薔薇色に輝いた
おお、これはまさにしく神の授け子だ わが島の灯台となって
島を照らしてくださるだろう 部落総代の田福老人が 合唱して赤ん坊を伏し拝んだ
この赤ん坊は海神の授かり子です わが島の農作物や漁労を豊かにしてくださるおかたです
司たちが予言するので 部落の人々はおそれおろがみ 膝まずいて伏し拝むのであった。
島民は東海岸の 虎の口の岩から赤ん坊が生まれたのだと疑わなかった
この荒れぶれた絶海の孤島には 奇岩妙石や老樹が信仰の対象物であったが
生きた人間が神になることも必要であった いや、孤島を代表する 英雄豪傑の出現を
心待ちにしていた それがはからずも実現したのだ。

部落では御嶽の杜の付近に 神の授け子の家を新築し司たちがそれの教養に当った赤ん坊は       島人の信仰と 愛情を一身に集めてすくすくと成長した 歳月はいつしか流れて
神の授け子は15歳となり 逞しい風貌と骨格を持つ颯爽たる怪力の少年と化していた
肌は汐風に焼けて赤銅色に輝き 頭髪は棕櫚の皮のように赤ちゃけ
瞳は海のように青く澄み 笑いは怒涛のように豪快であった
その頃から誰いうとなく赤蜂と呼んだ。
・・・・
伊波南哲著より


この叙事詩の文中に虎の口、鰐の口、獅子の口、大蛇の口とありますが一般の島人は
虎の口はトゥラグといいよく知られていますが、別の鰐の口、獅子の口、大蛇の口の場所を
知りたくて長老や先輩に聞いても場所をしる方が見つかりませんでした                                 浪漫ある海岸の名所を探していますが何方か知りませんかはてな

オヤケ赤蜂
高那の断崖岸壁
オヤケ赤蜂
上から撮った虎の口 
オヤケ赤蜂
東岩側から撮った虎の口
オヤケ赤蜂
南部落の田福家前のオヤケアカハチ誕生の地

オヤケ赤蜂
大浜・崎原公園にはオヤケ赤蜂の碑と寄り添うようにクイツ姫の碑が建立され
毎年旧暦の3月3日には碑前で慰霊祭が行われています。
オヤケ赤蜂
クイツ姫の碑・2000年のアカハチ500年祭で建立されました。
オヤケ赤蜂
オヤケアカハチの乱を熱演

子ども演劇

先月の1月11日に石垣市民会館大ホールで子ども演劇やいま浪漫の会主催に
よる現代版 子ども演劇 オヤケアカハチ太陽(ティダ)の乱 が昼夜2回開催されました。

私は始めて見ますのでホールの真ん中で友人と席取り観覧することに。
演劇内容は伊波南哲長編叙事詩によるもので伊波南哲氏のもとへ謎の女(新聞記者)が
訪れ、500年前に琉球王朝と戦ったアカ蜂を取材するところから始まる。

演劇団員は約100名で小学4年生~高校3年生で構成され今回の公演では
シナリオも新たに変えたようでこども達の堂々とした発表力・表現力・演技力の凄さに
感動を受けました。
今年は東京・韓国公演を予定しているようですので、皆さんもアカハチフアンになりましょう。
私も一昨年かな?やいま浪漫の会に波照間公演を願いましたが学校側の
都合がつかなくて、との返事でした。

東京公演の日程は決まったようです・・下記HPへリンク。
http://akahachi.ti-da.net/

曲名:南(パイ)の勇者
アカハチ500年祭で大浜村の長浜寛氏が作詞・作曲・CD発売を。
オヤケ赤蜂
5年前の写真です
※残念ですがアカハチの碑や銅像周辺のデイゴの木が殆ど枯れてしまいました。ぐすん



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Posted by mishikoi at 23:58│Comments(0)一生勉強
 
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